年明けからこっち、あれやこれやと過ぎていって、講義はもうすぐ4回目。これまでの復習をしつつも少し算命学の〈思想原理〉的なところを、自分なりに整理しておきたいです。参考文献については、区切りの良いところでアップします。
「算命学」を字面から見る
「算命学」の「命」とは、その人の〈素質・能力〉のこと。人それぞれが固有に持っている〈素質・能力〉です。
「算」は、通例の「かぞえる」の意味の他に「今後のことを計画する」「心積もりをする」といった意味があります(『新潮日本語漢字辞典』)。もともと「算」は会意文字(かいいもじ。2つ以上の漢字を意味の上から組み合わせて作った漢字のこと。例えば「休」は「木」に「人」が寄りかかることから新しい漢字として意味を与えられた)で、「竹+具」が合わさった文字。両手で算木(易の占いで用いる角柱状の木)を持つ形をあらわしていますね。
意訳すれば「算命」というのは、「人の持つ素質・能力から、今後のことを計画する」といったところで、言葉の最後には「学」とついていますから、客観的に体系立てて説明する、ないしは整理するといった意味も読み取れようかと考えます。
「老荘思想」について
たまたまなのか、算命学を勉強するにあたって、一冊の本を知りました。
大場一央『武器としての「中国思想」』(東洋経済新報社)。さいきん(23年10月)出た本ですが、「中国思想」を通覧する入門書としては悪くはないかもしれません。ちょっと歯切れが悪い言い方をしているのは、わたしもそうなのですが、いわゆる支那の歴史を少しでも知らないと話が多少前後するので前後関係が混乱するかもしれないから。でも、この本の場合にはそれは瑕瑾(かきん)かもしれませんね。
老荘思想は老子(ろうし、老聃[ろうたん]、生没年未詳)、荘子(そうし、荘周[そうしゅう]、生没年未詳)、というふたりの思想家によって成立したと言われています。しかし現在の研究では老子の存在は疑われていて、荘子も詳細の事蹟は解っていません。
算命学との関連で言えば、こんなふうにも書かれています。
算命学を学び、三名の占技を駆使するためには、何よりも先ず老子の哲学を充分身につけて、実占に臨む際の基本的な心がまえと、占技の基本原理を確立しておく必要があります。
上住節子『算命占法 上 思想原理』(東洋書院、pp. 16-17)
老子は、この世界には全ての存在に先だってそれらを成立させているものとして、「道」(みち)があると定義しました。
「道」は、「見たり聞いたりすることはできず、人間には感知することが不可能だとされています」(大場[2023]p.27)。そして「人間には把握不可能だが確かに存在し、最終的に世界を調和させているもの」が「道」であり、「人間は世界の一部に過ぎず、世界が変動しながら調和していく流れの一コマとして、社会の繁栄や衰退、人間の幸不幸も起こっているという考え方」(前掲書、同頁)とされています。
しかし、ここで疑問が湧きます。
もし「道」なる存在が〈世界の調和〉を目的としているならば、なぜ疫病、貧困や戦乱といった〈災禍〉や〈不幸〉がいつまでも終わらないのか。じっさいに支那においては春秋戦国時代はほぼ500年も続いたのです。
それに対する老子の回答は、(大場によれば)こうです。
すなわち、人間が己の分を弁(わきま)えず〈作為〉するからであると。
〈作為〉とは「人間の頭で問題を設定し、その解決法を編み出すことを言」う(大場、p.28)。人が多く集まれば、共同生活を営むルール(制度や法律)が生まれ、QOL(Quality Of Life)をあげるべくインフラ整備や発明や改良を施す。自分たちの生活のために都市をつくり、一方で外敵から自分たちを守るために兵器をつくる。
老子は、そういう人間の営為ないしは文明こそが、〈世界の調和〉を乱して〈災禍〉と〈不幸〉を生み出したのだというのです。(この項、つづく)