【学習 #3-4】老荘思想 (3) 老子 3

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【学習 #3-4】老荘思想 (3) 老子 3

2024/01/19

さらに先を急ぐ。

では、人間をして〈作為〉たらしめているのは何なのでしょうか。
老子はそれを人間の〈慾〉にあると考えました。

欲望さえ抑えるならば、人々をして本来の自然に復帰せしめ、純撲な社会を形作らしめることが可能であると考えた。したがって老子の学においては、無欲の論が主要な位置を占める。

小島祐馬『中国思想史』、p.123

「禍は足るを知らざるより大なるはなく、咎(とが)は得んことを欲するより大なるはなし」

「足るを知れば辱(はずかし)められず、止まるを知れば殆(あやう)からず」

「足るを知る者は富む」

という言葉に表現されています。欲望を満たそうとして努力することは満足を得ることにはならず、災禍屈辱を受けてしまう。欲望を抑えれば財産は増えないが満足を得られて人生を幸福に過ごせるというのです。

では、その〈慾〉はどこから生じるのか。

老子はそれを人間が知識を獲得することにはじまるというのです。人間をして欲望を放棄させるには、まずその知識を断滅しなければならないのだと。

「学を絶てば、憂いなし」

「聖を絶ち、智を棄つれば、民の利百倍す」

人間は〈無慾〉でなければならず、かつ〈無知〉でなければならない。それを老子は要求するのです。儒家においても墨家においても賢者を貴ぶことは政治には必要だとしているのに、老子はそれを採用しません。

ただ人民に対しては、その心志を弱くし、その肉体を強くし、その原始的な欲望のみを満足せしめる。それは君主が人民を治めるための心得であるが、君主自身もその聖智を用いず、干渉を行わず、いわゆる無為にして化する態度をとらねばならない。

(中略)

けだし老子のいわゆる道は非人格的、無意志的のものであり、その活動をして成し遂げた結果を自己に有する意志もなく、その功に誇る意志もない。

前掲書、p.124

そして、老子はいわゆる「小国寡民論」と呼ばれる理想社会を唱えますが、そこで主張していることは「全く文化を有しない原始社会への復帰である」(小島祐馬)。
小部落の個々に独立して統一されることなく散財する状態を理想社会と言っておいて、他方ではしかし、老子は天下統一を認め、大国統治の方法を論じ、王侯の政治の心得を説いている(かつて故大平正芳首相が常々「大国を治むるは小鮮(しょうせん)を烹(に)るが如くす」という老子の言葉を口にしていたことは有名だ)。
いったいどういう思想体系なんでしょうか。正直解らないのです。

先に本を引用した、占術家の上住節子によれば、

老荘思想の核心は、世間の相対的で皮相な現象にわずらわされずに、自らの純一無雑な生命活動の根源にかえり、それを内奥深く保持して、絶対的宇宙(道)とともに、無為自然に「命」(みずからに与えられた素質と能力)にしたがって生きることです。

上住節子『算命占法 上』、p.17

とあるのですが、「世間の相対的で皮相な現象」=「人為的頽廃的な社会」(小島祐馬)と何とか読み解けるものの、では算命思想の原点は老子の思想にあるかというと、部分的には首肯するというくらいの個人的な気持ちです。

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dexter

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